随書 俀國傳 俀王姓阿每,字多利思北孤,號阿輩雞彌、随書俀國傳の有名なアメノ.タリシヒコの姓名です。王名は阿輩・雞彌ですが、この雞は家禽(家鸡)、ニワトリという意味です。彌は「あまねし」、どうしたことか卑彌呼にかさなってきます。転ずれば、文型から、鳥から生まれた一族の直系の末裔ということになります。いろいろと候補はあるでしょうが、雞彌の雛(ひなzhī)と、卑の文字は同意とみることができます。鹎(ひなどり)の省略文字が卑なのです。 
                      卑弥呼→鹎禰乎 
                       
                      中国語中古音(切韻系) 
                      鹎→   bɨi(平声) 
                      禰→ nɨi(上声) 
                      乎→ xu(平声) 
                      中国語古典的な音読 
                      鹎→ pēi (平声) 
                      禰→ mí (上声) 
                      乎→ hū (平声) 
                       
                      韓国語古典的漢字音 
                      鹎→ 비 (bi) — 非常に稀な字で、標準音は不明瞭だが「비」と推定される 
                      禰→ 니 (ni) — 父の霊を祀る場、または父を意味する 
                      乎→ 호 (ho) — 文語助詞、疑問・呼びかけなどに使われる 
                       
                       
                       
                      鹎〔bēi〕ひなどり、と訳します。しかし、どういう意味でしょう?随書 百済伝で、「婢云:「有物狀如雞子,來感於我,故有娠也。」王舍之。」とあります。これは、河伯の女の言葉です。「雞子(ひよこ)のような形をしたものが入ってきました。それに感じてわたしは妊娠したのです。」、王に伝えます。これが受胎の原因ということですが、雞子とは直訳すればニワトリの子です。この短い神話は高句麗建国開祖の朱蒙の誕生神話で、いわゆる天光受胎神話と呼ばれています。卵生神話の一つです。日本でも平安時代までは常識的な物語でした。続日本紀には和氏の上奏文、「それ百済の遠祖、都慕王は河伯の女日精に感じて生めるところなり。皇太后(高野朝臣新笠)はその後なり」・・・日精に感じて生まれたのは都慕王、高句麗の太祖です。都慕王とは別名、東明聖王、古事記では大国主、またの名を葦原色許男神(あしはらしこおのかみ)と言います。これらは高朱蒙の別称です。なんと、記紀・神代の物語の主役中の主役です。 
                      さて、随書の続きですが、「棄之*廁溷,久而不死,以爲神」、豚小屋に捨てたが死ななかったので、王は以て神となした。」、八千矛神が日神の子だと認めたのですね。実は、日精または日神が三本足の烏(カラス)なのです。
                    鹎〔bēi〕は中国辞書では、黒褐色の羽と白い腹をもつ鳥です。 
                       
                      どうやら、卑彌呼と卑彌弓呼の奉じる遠祖(太祖)が共に都慕王(東明聖王)すなわち高朱蒙だったということになります。これだと、卑彌呼に敵対する男王が卑彌弓呼と、弓の一字しか違わなくても納得のゆく説明がつくのです。卑彌呼も卑彌弓呼も河孫(河伯の女から生まれた子孫)だったのです。卑彌呼が扶余女王、卑彌弓呼が高句麗王です。元扶余は公孫氏の配下で高句麗と果敢に戦いました。高句麗とは昔から敵同士です。そして、タラシヒコも、雞彌です。だいたい330年ほど卑彌呼より後の時代ですが、百済王の8代までは朱蒙を太祖とする末裔だったという驚くべきことが暗示されます。 
                      鹎彌は雞彌と同じで2文字2音ですが、「呼」は「乎」の変体文字です。文語助詞。疑問・感嘆・呼びかけなどに使う。従って、乎に意味は無く、呼びかけぐらいの意味だろう。 
                      あなた、「鹎禰乎」が元字だったのです。私たちがヒミコと通称してもまったく問題はありませんが元字は意味を取らねばなりません。どうやら、卑彌呼と卑彌弓呼の奉じる遠祖(太祖)が共に都慕王(東明聖王)すなわち高朱蒙だったということになります。 
                      百済も高句麗も扶余から派生した国です。狗古智卑狗の卑も同じです。南の狗奴国も句麗國から分離した国だったのです。変換すると「句臣智鹎句」とすると意味が通ります。 
                      卑弥呼と卑彌弓呼の祖父は同じで、高句麗の第9代・故国川王です。 
                      卑弥呼の父は抜奇、卑彌弓呼の父は山上王です。東川王の父が山上王であることから、容易に決定することができます。また、抜奇は王位(争い)に破れ、消奴部3,000戸を率いて、公孫氏にに帰順しました。そのとき、抜奇の娘であった卑弥呼は公孫氏の子女になったのです。公孫氏の女といっても、人質同然でしたが、公孫氏は双方を哀れんで、卑弥呼を尉仇台に嫁がせました。二人の共通項は反高句麗(はんーこぐりょ)ということです。卑弥呼にとっては敵である卑彌弓呼(東川王)は父の死の原因となった山上王とその子東川王に対しての復讐ということになります。(ここは韓流ドラマにふさわしいストーリーですね。) 
                       
                        
                       
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                      卑の本字は鹎 
                       
                      鹎〔bēi〕の漢字は雛(ひな)で、日本の辞書にはありません。 
                      新華辞典 鹎(鹎)bēi 
                      1.主に黒褐色の羽と白い腹、短くて細い脚を持ち、果物や昆虫を食べる鳥の属。 
                      (鳥類的一屬,羽毛大部為黑褐色,腹白,腿短而細弱,食果實和昆蟲) 
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                      東明聖王(とうめいせいおう、トンミョンソンワン、朝鮮語: 동명성왕)は、高句麗の初代とされる王(在位:紀元前37年 - 紀元前19年)であり、東明王、都慕王とも呼ばれる。姓は高、諱は朱蒙(しゅもう、朝鮮語주몽チュモン)または鄒牟(すうむ、チュモ、朝鮮語: 추모)、衆解(しゅうかい、チュンゲー、朝鮮語: 중해)とされる。 
                      『ウィキペディア(Wikipedia)』 
                       
                      広開土王碑=鄒牟(チュム) 
                       
                      高句麗本紀=東明聖王、姓は高氏名は朱蒙、別称 鄒牟、象解 
                       
                      新撰姓氏録=鄒牟(すむ)、須牟祁(すむき)王の後なり。須牟祁王が第一番目の須佐之男=初代東明聖王 
                       
                      新撰姓氏録=都慕王(つぼおう) 
                       
                      続日本紀=仲牟王、都慕王 
                      古事記神代=五人いる大国主命の一人 
                      古事記神代=葦原色許男 
                       
                      河伯(ハベク)の女、名を柳花(ゆふぁ유화)という。(三国史記)河伯族の王の娘。 
                       
                      河伯の女=古事記では沼河比賣(ぬなかはひめ)のお名前で歌を一首詠っています。 
                       
                       
                      简位居(かんいご)=简は姓、位居は”王”。すなわち、简王です。(尉仇台の嫡子。魏志倭人伝・景初2年の難升米の実名? 
                      居:付属形態素 (身を)置く,任じる.【거・コ】 
                      用例 
                      身居要职=要職に身を置く. 
                      以功臣自居=功臣をもって自任する. 
                       
                      位居:位する【”위거イゴ】 
                      ある地位につく 
                       
                      *廁溷(しこん)=廁所 
                      (人糞を豚に食わせていたので厠と豚小屋は同じ構造物になっていた。)=便所のこと 
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